コラム

第12回『軍都広島にて』

 自由法曹団の5月集会で広島・岩国・呉に行った。明治27年8月、日清戦争の戦端を開くや、山陽本線が開通し、宇品港から船舶で兵員輸送できる広島に大本営が置かれ、明治天皇が7ヶ月余り滞在した。

 呉は明治22年に呉海軍鎮守府が置かれ、帝国海軍によって町が作られ、明治36年には呉海軍工廠が設置された。歴史の見える丘公園から見るとすぐ目の前が海軍工廠造船部跡地で、この左手のドックで戦艦大和が建造された。呉の海自基地の艦船保有数は45隻で横須賀基地の36隻を上回る日本最大の海軍基地。潜水艦桟橋からは不気味な姿の潜水艦が見える。

 岩国基地は厚木基地から約60機の空母艦載機を移転する予定で、基地の沖合約210ヘクタールを埋め立て新滑走路を建設し、基地拡張を7220億円の思いやり予算で行っている。機雷掃海では、岩国の掃海ヘリが呉の掃海艇の航行する航路を先に掃海し、道筋を付ける形でセットになって行動する。また、情報戦においても岩国にはミサイル発射などの情報をキャッチする電子戦機EP-3が配備され、呉にはデジタル衛星通信網の地球固定局がある。岩国・呉の軍事施設を見ると、戦争と隣合わせの危険を感じた。