コラム

パンデミックのあと

弁護士 芳野 直子

 今年は新型コロナパンデミックの嵐が吹き荒れています。日々のニュースを見ながらこの状況になんとなくの既視感を感じました。それは、5年ほど前に読んだ小川一水著「天冥の標」という長編SF小説全10部17巻の中の、第2部「天冥の標Ⅱ-救世群」の世界でした(同小説は、第40回日本SF大賞を受賞しています)。
 物語では、201X年の地球が舞台で、東南アジアで発生した謎の伝染病「冥王斑」が世界中に広がり猛威を振るい、感染者の9割以上が死亡するという状況の中で、この疫病と闘う医師や患者などの奮闘が描かれています。かろうじて生き残った生存者達は、民衆からの過酷な差別と排除・迫害に苦しみます。生存者の一人少女チカヤは、その状態に抗い、絶望で自暴自棄になっている生存者達をまとめ上げ、希望の道筋を示そうとしますが、徹底的な排除はわずかな望みも奪っていきます。
 「天冥の標」シリーズは、その後人類が地球から脱出して他の星々に移住した遠い未来の話に移っていきます。未来でも生存者達の末裔への差別は続き、深刻な分断と争いを生んでいく世界を描いています。
 私たちは、今新型コロナの感染症対策に追われていますが、差別や排除というような人間の負の連鎖がこの病気によって拡大しているニュースをよく目にします。いずれこのパンデミックが収まるとき、深刻な分断と争いが残されてしまう危険をはらんでいるのではないか、そんな怖さを感じたからこそ、私は「天冥の標Ⅱ」に既視感を感じたのかもしれません。怒りや恐怖の対象は病であって人ではないのですから、小説のように遠い未来に禍根を残さないため、状況を冷静に受け止め、正しく「病」を恐れたいものです。