コラム

共に生きる社会をめざして  

 車いすユーザーが電車や飛行機に乗る際に、配慮を断られたり、利用を拒否されるという問題が報道されることがある。そのたびに、「えこひいきだ」、「逆差別だ」、「わきまえろ」、などの批判が巻き起こる。

 しかし、障害のない人であっても、日常生活のさまざまな場面で人的・物的なサービス、社会的インフラの付与に支えられて生きていることを忘れてはならない。自分も支えられて生きているということが「当たり前」のことになって普段は気が付かないだけだ。

 たとえば、ビルの二階にあるスーパーマーケットには、階段、エスカレーター、エレベーターがあることによって私たちは二階に登り、飲食品を購入することができる。もし階段もエスカレーターも壊れてしまったら、そこにたどりつくことはできないだろう。

 大きな会議室や教室では後ろの方に座っても、話者がマイクを使ってくれれば、その話し声を聞くことができる。もし、マイクが故障してしまったら、地声を耳をそばだてて聞かなければならないだろう。

 このようなサービスやインフラは、障害のない人を基準にして制度設計されている。往々にして、障害のある人はこれを利用したりその恩恵を受けられないといった事態が起きる。

 高架化された鉄道の駅に階段しかなく、エスカレーターもエレベーターもないとすれば、車椅子ユーザーはひとりでその駅に来る列車に乗ることができない。

 人混みを苦手とする発達障害ある労働者にとっては、一せいに社員が休憩してしまうと事業所の社員食堂の利用をすることができなくなってしまう。

 障害のない人が当たり前に利用できるサービスや制度を、障害のある人が受けられないまま取り残されるのであれば、それは障害を理由とした社会からの排除に他ならない。

 そこで、日本も含めた一八二の国・地域が承認する障害者権利条約は「合理的配慮」の提供を各国政府に義務付けた。「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として基本的人権を享有・行使するための、特定の場面における、必要かつ適当な変更及び調整である。日本においても、障害者差別解消法において、この合理的配慮提供義務を公的機関や事業主に義務付けることとした。

 レストランの入り口に段差があって入店できないとき、即席のスロープを渡して車椅子ユーザーに入ってもらい、障害の有無にかかわらず食事を堪能してもらうことが合理的配慮の一例である。この合理的配慮は特権でもなんでもない。私たちが当たり前に使うサービス・制度を誰でも受けられるよう調整・変更(=合理的配慮)することは憲法一四条にも定められている法の下の平等の実現に不可欠の試みである。

 誰にとってもうまくフィットする社会の仕組みは、障害の有無だけでなく、国籍、性別、年齢…様々な属性からなる人々を包括する共生社会の実現に資するだろう。平等を基礎として多様な個人が尊重される社会は日本国憲法の理想でもある。このような社会と、「自己責任だ、えこひいきだ、逆差別だ、わきまえろ」などと言われる社会、どちらを目指すべきか? 答えは明らかだろう。

【2021年事務所ニュース夏号】