コラム

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして              【2022年事務所ニュース夏号】

弁護士  杉 本  朗

 テレビをボーッと見ていたら、車椅子か何かに乗っている日本人っぽい男性のお年寄りが沢山の白人に囲まれてなんだかにこやかにしているシーンに接した。それと同じころ、どこかの施設の前で、多くの日本人に囲まれている施設から出て来た日本人女性のお年寄りのシーンも見た。取り囲んでいる人たちはなんだか祝福しているように見えた。
 どちらのお年寄りも、名前とどういう人なのかぐらいは知っている人だったけど、知っている範囲内では、共感も尊敬も私には出来ない人たちだった。でも、そのまわりにいる人たちは、明らかに共感や尊敬を示していた。
 そのとき思ったことは、人の数だけ正義(括弧付で「正義」というべきかもしれない)があるんだな、ということだった。回りを取り囲んでいる人たちとその輪の中にいる人にとって、その人の行ったことは「正義」だったんだな、ということだった。それが「正義」だと言われても私は全然納得出来ないけれど、それを「正義」と感じる人たちは確実に存在するのだ。
 そういった意味で、「正義」っていうものは普遍的でも絶対的でもなく、きわめて相対的なものだと思った。勿論、私には、「私が『正義』と信じるもの」はある。だけどそれは私が行動していく上での指針であって、それを誰かに押し付けるようなものではない。そんなことをテレビを見ていて感じた。